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Ina hah イナハー、我々の言葉。
(#`Д´)<言語に対する愛情は無いのか!
oi, hah hohloyo mah, gahlo nih?!
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いなはぁ?
作り方が全くナメている言語。正にチラシの裏に線を引いて単語を並べて意味を振り分けて…という作業が見える様。
それなりに新機軸であると評価も出来るかも知れないが、こういう作り方では作る方は楽でも覚える方がウンザリするものである。
もちろん、世界共通語にして下さるというのなら、やぶさかではありません。しかし言語の性質上…
なるかッ!
音韻
pipiyo lah sohlo ondo.
ピピヨ ラー ソーロ オンド。
小さい−女 居る ここ。
a, b, d, g, h, i, j, l, m, n, o, p, r, s, x, y
内、
r は語頭に立たない。「ルルル」という弾き音である。
x はシャ行、母音の後の
h は長音の印。
hohyo は「ホーヨ」と読む(「ホヒョ」ではない!)
他はローマ字読み。
ina hah 「イナ ハー」と読む。
母音は
a, i, o の3つである。
o は
u でも良い。
(広口、狭口、円唇の三種母音)
b と
p を混同する綴り方もある。(というか、混同しても通じる)
d, g, j が語頭の場合、無声化して(清音になって)
t, k, c になっても良い。
dada は「タダ」と読んでも良い。
概ね、アラム文字系のソグド、ウィグル、蒙古文字に合わせた音韻である。
単語について
「転化」とは、何となく別の意味というだけなので深読み禁物。
-n を付ける。また単に動名詞的な意味としても読まれる事がある。
「転化」で
-ji, -do などと書かれている項目は、
-n は要らない。
yah 「頭」から→
yahn は「先頭」で
yahdo は「頂点(へ、で)」。
数は3までしか無い。
pada, pana, moh 「1、2、3」と
nih 「無い」。
しかも
mohyo (3の形容詞形)で既に「いっぱい」である。
これら二つの単語(動詞)は、意味が広すぎます。
dahlo 足為す→蹴る、歩く、進む…つまり足でする事全般
gahlo 手為す→持つ、取る、使う…つまり手でする事全般
文法
野蛮な言語という設定なので、単語を「並べる」という感じ。
pipiyo lah o hah hahloyo gagan hohyo, nih.
小さい−女 この−言葉 言うの−力 上手く、無い。
[主語]−[目的語(〜を)]−[述語動詞(群)]−[補語・副詞(〜へ、で、に)]
という順番に並べるのが普通。格は語順で決まる。
1
i oi hahlo. 私 汝 言う。→私は
汝を呼ぶ。
2
i hahlo oi. 私 言う 汝。→私は
汝へ語る。
1番の
oi は直接目的語なので「〜を」を付けて読む。
2番の
oi は間接目的語であり、補語の一種(と考えられる)ので、「〜へ、で、に」を付けて読むのである。
名詞(相当)が並ぶと、多くは修飾関係になる。
dolo xih, sohdi, xaxabo dadayo larando.
土−人(原住民)、居た、
温度−大きい−海。
主語の後や文節の継ぎ目に一息入れる事で、より鮮明に区別出来る。
madan mah xohdi. 神 心 聞いた。(?)
madan mah, xohdi. 神−心、聞いた。(神の心は…、神の心を…)
madan, mah xohdi. 神、心 聞いた。(神は心を…)
特に副文節は区切る方が良い。
madan, mah xohdi, hohyo. 神、心 聞いた
、良く。
-do は、暗に「移動」と「存在」を表現出来る。
aido! そこへ(行け)!、そこに(居ろ)!
動詞語尾に更に
-yo を付けると連体形になる。
i dihdiyo xih aido, mahlo.
私 行った
の 人 あっちへ、知ってる。→私あっちへ行った人、知ってる。
副文節をいろんな用途に使う割には扱いが乱暴である。
i ohlo, ai xih, ohlo.
私 する、
あの 人、する。(赤字は副文節)
これを「私は、あの人がすると(様に)、させる。」の様に読むのである。
これは「私は彼にさせる」という使役構文でもある。
mahdan dobodiyo gabayo lara, dolodi, odo.
神様 捨てたの 痛い(硬い) 水、落ちた、ここ(に)。
この場合は副文節を主語としている。(副文節と言うか?)
例文
hohyo horoji. dihbo pipiyo ioi.
快い−日(こんにちは)。距離−小さい(親愛なる)−皆。
i dogoyo oh nahlo, "Ka-na", a hohyo. i yahlo o sah.
私 長い−事 記す、「カナ」(で)、而 快い。私 考える この様(に)。
mahdan jah a dolo gahdi, bohsoji.
神 天 と 地 作った、始め(に)。
nijohn nihdi dolo, a horodi nih,
形 無かった 地(に)、 而して 嬉んだ ない、
a mahdan mah, sohdi, dadayo lara jahdo.
而して 神−心 あった 大きい−水−上(に)。
a mahdan mah obohlo a sohdi, dadayo lara jahdo padan.
而して 神−心 動く 而して あった、大きい−水−上 〜のみ。
mahdan hahdi "mahda sohla!" a, ai sohdi.
神 言った 「光 あれ!」 而して、それ あった。
mahdan, ai jihdi, a yahdi, horoyo.
神、それ 見た、 而して 考えた、嬉しい。
「
obohlo a sohdi 動く 而して あった →動いていた」
「
dadayo lara jahdo padan 大きい 水 上 〜のみ」は、述語動詞の後なので副詞句である。1語でも数語の句でも、扱いは同じになる。
「
yahdi, horoyo 」は「考えた、嬉しく→喜んだ」である。
bah, ohna hahlo, gahloyo ohna ohdiyo jihji!
男、モノを 言う、するの 事らを したの 後!
a, i pipiyo lah.
而、 私 小さい 女。
10年以上放置して…
<< xih odo jihloyo, sohdi.
人 ここ 見るの、 在り。
i yahdi, i odo nahlo xanayo.
我 思う、我 ここ 記す 再び。
まあ何らかの反響があれば心揺らぐのは人情というモノでもあり、言われて見返せば、かなりの不備を散見。(元々チラ裏だし)
元来、できるだけ少ない単語でどうにかしようという主旨だったので単語そのものはあまり増やしたくない。とりあえず付随要素を増やして派生し易くしようという趣で。
あと、単語表の空白をなるべく埋める努力を取ろうかと。
で、数語増やしてフッと気付いたのですが…
無闇に単語を増やすのは簡単ですが、それでは何の神秘性無しの単なる変な人工言語になるだけで、少ない単語でやりくりしてるのが楽しいのではないかと。
o, babalon a gijilon, nih! これは言い訳ではない!
【増やされた用法】
・上の例文的な妙な関係文。「人(主語)ここ見るの(関係)」=「ここを見る人」
「ここ」が「〜を」を伴う要素なので、語順規則的にこうなります。
・xih-yo-n 「賢い」(形容詞)に転化語尾 -n を付ける事でそのままの意味の名詞に転化出来ます。→「天才」の様に。
また、上に出てますが babalo-n, gijilo-n 「逃げ、ごまかし」、英語で言う -ing 型の名詞にもなれます。
・助動詞の充実?(してない)
i, oi o saralon, jihlo.
我、汝 此 食うの、見る。→「汝にこれを食わせる(食われる)」(使動・被動)
i o saraloyo gagan, sohlo i.
我 此 食うの 力、 ある 我(に)。→「私はこれを食べれます」(可能)
oi o saralo nih, nih.
汝 此 食う 否、 否。→「汝はこれを食わねばならない」(義務)
i, oi o saralon, yahlo.
我、汝 此 食うの、 考える。→「汝はこれを食うだろう」(推量)
lahpi, dadayo xahda gahloyo, sohlo.
女−小、大きい 刃−大 持つの、在るの。→「大ガマを持ってる少女。」(状態)
「〜を」の位置に従属節を割り込ませる形が正式ですが、外に出しても可。
→oi o saralon, i jihlo. 最初の文の外出し形。
従属節の重みは名詞と同じ(動名詞・連体〆め)が望ましいと考えます。
義務形は…まるで子供の様です。
状態形とは、進行と完了をひっくるめた言い方です。
他動詞の過去連体形は「〜された」とも読めます。
panadiyo dolon
分けたの 土地 →「分けられた土地」
(自動詞的に読む、ともとれます)
・助辞の追加
例えば larando で「水の所→池・海」ですが、拡大辞追加 larandoda で「海」、縮小辞 larandopi で「池・水たまり」と区別出来ます。
pipiyo lah は単に「小さい女」で lahpi が「少女」になるのか…
・「A=Bだ」文を忘れてた
まあ普通に i, lahpi. 「私は女子だ」でも良いかもですが、特に強調する場合は
i, o, lahpi. 「我、これ『女子』なりッ!」みたいに…みっともないかも…
・「色」等の表し方
例えば「赤い本」では:
→「 xaxadiyo nahn 焼けた(火をなした)本」(アイヌ語的自動詞用法)
→「 nohn sahyo nahn 血の様な本」(「〜の様」でごまかす)
色と名詞の曖昧候補例:
「赤」→火、血、皮革(範囲が広い)
「青」→空、水
「白」→明るい、輝く
「黒」→暗い
「黄」→木(手抜き)
「緑」→草
「紫」→虫?(不自然な色全般?)
「灰」→粉?石?
「茶」→土(ある意味「赤」の属性あり)
「ショッキングピンク」などは「 goboyon jaba sahyon ビックリ肉色」…多分イナハーの世界にそんな色はありませんが。
(類例「ミッドナイトブルー mahdo jaraji jah sahn 中心夜の空の様」)
・「数」を増やすかどうか
「3」までしか無いのが原始的な気持ちよさ(単数・両数・複数)と思っての事でしたが、やはりせめて「5(ちょっと多い)」「10(割と多い)」ぐらいは…
i xih jihlo pada horoji pada padan.
我 人 見る 1 日 1(人) のみ。
i xih jihdi, panado gah gih.
我 人 見た、 両方 手 指(10)。
鋭意編集中… ina o nahlon sohlo xanayo......
gijiyo nih hah, sohlo oji. gobodiyo i mah.
すっかり普通の言語になってる。ビックリだ。