本人はかなり深刻にマジメです。
一切の宗教・信仰とは関わりはありません。あってたまるか。
NOTOI SVBO LOGAS VERITE DE CORON AROI CVON DI NE ABVS AVDITO.
これゆえ霊的存在=神仏など存在しない、と言うのは早計です。なにしろ捕まえられないのですから。ただ、無いモノを無いとは証明出来ません。
Nuo logus iton to, "Ueritago Deuelalo".
そういうのを「悪魔の証明」って言うのよ。
神仏に限らず、「霊体」とは電磁波的な「揺らぎ」だと考えています。揺らぐ力さえあれば、存在しなくて存在するモノとなり得るからです。
さて、その力の元は多分「意志」…と考えていますが、不明白です。言えません。
ちなみに、私にとって神とは「絶対前提」であり、「居る」「居ない」ではありません。
ただの「揺らぎ」だから時間も空間も関係ありません「進む」んじゃなくて「伝わる」のです。下の図で判って下さい。○はビー玉とか。
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○→→→→→→→→→→→→→○ モノが進む→「出る玉=入る玉」
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→●○○○○○○○○○○→→○ 揺らぎが伝わる→「出る玉≠入る玉」
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揺らぎが伝わる判りやすいモノに「電波」を挙げる事が出来ます。電波には「複数の受信機で同時に受け取れる」遍在性もあります。
また、「電子」の流れも似た様な性質を持っています。電話やインターネット上を駆け回る情報などはそうですね。ここでは総称として「電磁波」と呼びます。
これらの方法でも、最大速度は光速の様です。
また、揺らぎ=波であれば独立性を持っている筈なので、複数の波が同居してもちゃんと分ける事が出来ます。
ワタクシ的幽霊の見えかた考察。まず「モノが見える」という物理現象は、対象に当って反射して来た光を目の網膜が刺激として受け、視神経(脳)が感知する事です。
ここには「対象」と「網膜→視神経」という実体(物体)がありますが、「霊」なるモノは実体が無い「質量ゼロ」…としています。
ヘリクツ:このページにも「実体」はありません。デジタルデータは単なる「0と1」という「揺らぎ」です。「揺らぎ」は0と1の相関関係(「間」の事)であり、「実体」(0と1そのモノ)ではありません。
さて、その「揺らぎ」を受け取る受容体がパソコンです。目に見えている「結果」は、パソコンが作った「虚像」です。以下は概念図:
/\ / \ / 振子 \ / \ ○ ○←オモリ(実体がある) ←揺らぎ(実体無し)→ ※データはオモリではなく揺らぎにある※デジタルデータを「霊体の電磁波的エネルギー(揺らぎ)」とし、パソコンを脳(視神経)に置き換えれば、理解出来ましょう。
任意の故人が「若い姿」だったり「歳を経た姿」だったりしても、それは受容する側(アナタの脳)に原因があります。潜在的な欲求で、その相手を構成する為の部品がそうなっているからでしょう。
見えない人もいますが、受容体(アナタの脳)が対応していないだけです。
モノを物理的に動かす理屈は判りません。ただし電気機器の場合なら、電磁波だから…という程度。なにしろ自分でヘリクツと言ってる段階です。
作者はとある故人と自分の人格の交錯に悩んでいます。と言ってもカトラ(魂)がど〜のとかではなく…
いわゆる一つのオカルト現象(の様なモノ)はあった気がします。プログラムが誤動作したりランダムがランダムじゃなくなったり…オートリヴァースカセットデッキが誤動作してマジびびり。
しかしそういうモノは「偶然」や「間違い」でも説明出来ます。元々が本当であっても証明のしようが無い現象です。
霊や霊界が「あり得る」という話ですから。で、今回はそれが「どこに」あり得るモノかという事を考証して行きたいと思います。
素粒子下では三次元世界の物質は空虚な存在です。運動場の真ん中にサッカーボール、端っこに野球ボール置いて、原子核と電子だ、とかいう感じ。
しかし素粒子の世界は「無」から「有」が生じる世界であり、何があってもおかしくないのは事実です。が、難しすぎて説明不能。
霊や霊界が「存在する」条件下で、ワタクシの説は「振動周波数」理論です。同じ三次元世界の住人同士は同じ周波数なので相互認識出来ますが、霊は違う周波数なので「同調」出来ず互いに感知出来ません。同じ所に居ても・アナタの後ろに居ても!
ヘリクツ:突っ走る車などに書かれた文字は読めませんが、並走すれば、簡単に読み取れます。また、「動体視力」の高い人(つまり「特殊」能力者)もいます。
ただ、向こうからは雰囲気的に見られてる感じが…(やや空想が膨らみ過ぎた)
「あっち」が会いに来れば苦労要らずですが、多分、引く♪
「夢の中」辺りだったら大丈夫でしょうが、真実味に欠けます。
(今回は飛躍が激しい)
霊界の具体的な位置。上空数百キロとかに霊溜りがあるとか。地球を覆う様に存在する…誰が言ってたか忘れました。
実際に地球の回りにはバンアレン帯などの地磁気のフィールドがあります。その一種なのかも知れません。作者は霊を電磁波に近いモノだと考えますので、矛盾は少ないと思います。ただ、そんな所にたむろする「理由」までは判りません。
(判らない事を判らないと言うのは真摯な科学的態度である)
電波な飛躍:「電離層」をご存知でしょうか。今言った霊界の様に上空で地球を覆い、地上から発射された電波を跳ね返します。
さてこの「電離層」、階層構造になっています。霊界の階層構造?下から D, E, F1, F2 層とあります。上層ほど高い周波数を通しません。
F層の上にはオーロラが光ります。そこが究極の「光」の世界?(科学的でない)
ちなみに、FM辺りの超短波(高い周波数)は、電離層を突破します…カルマから抜ける?とか宗教家みたいな事を言ってみる。
霊が電磁波に似てる部分は、「鬼門」や「北枕」などという事(地磁気が影響する)でも気にされます。
だいたい「電波」なる概念自体が1871年にマクスウェルが数式で電磁波説を確立するまで「無かった」んですから、電波の方が後なのです。
電波こそが「人工霊体」かも知れません。 ワシが「電波」思うたやろ。
ある程度強い恒久的な単体の地磁気発生システムを持ち合わせている惑星は、この太陽系では地球だけの様です。地球にだけ霊体・生命が溢れているのも、何か無縁ではないのでは。それを天体単位で覆う地磁気、その中に浮かぶ霊界。そういうイメージか。
いろんな宗教で、いろんな言われ方をしています。ただし、よく言われている事には「神」の名を騙る、「人間の都合」が隠れています。
人間の感情は結局の所、例えば磁石のNとSが引き合う様な、単純な物理に起因すると考えます。その「物理的な都合」が寄り集まって人間になるのだと思います。
非人間的な考えでも、それが現実であり、妙な空想よりゃマシ。
だいたい、上に書いた様な事を判っていられるのは「神」なる存在でしかありません。不遜な事を平気で言う人は避けましょう。
未知の霊界の話だった。「未知」だから判らない。特殊能力が無い限り、見て帰って来る訳には行かない世界ですからね。ま、時間や空間の概念が無いそうだから、世界の大きさも無いのかも知れません。
数学で言う「虚数」の様な。これだって数学者以外には「タワゴト」です。
普通の人は、実数下でしか生活しません。でも、それで良いでしょう。結局イイんですよ。判らんから未知なんだから。煙に巻いた…。
見た事ないので書けません。オシマイ。
神が実在するか否かと論争する人がいる。(別に「神」でなくても可)
否定派は、いたら自分の意見が間違いになるので居てもらっては困る、肯定派は、居ないとこれまでの自分の苦労やらガマンが無になるから居て欲しい。
どちらも「自分」が大事なのです。オマケに人殺しの大儀にする事も厭いません。そんなウジ虫や宗教は要りません。
あと、こういうのに単純に反応して反対または賛同する人間がいますが、それに一切の思考考慮が無いと判断した場合(自分の教えと違うから、など)は聞けません。
考えない人は要りません。
Facoro nuo logus: Uerito omo a uerito DEO, ne ido.
Aroi cuo mi uolus logure, mauto a mauto. Mi ne conus uocoin cuo mi logas de. Di uidus don coron mi en toi, sue.
Aroi contuo cuo di logas me, di ne abus coron DEO, toi abus coron DI unalo. Di cogis aroin to uerite?
Deo uidus nuon i loco telissimo. a Deo logus nemon. Nuo abus uion uiuido uno cuo asus fumito con mago Deo.
Amica auruma mi asis tolito i celeito. Aro to undis coron mi.
Mi asus ne-comone. Mi ne conus cuon mi facas.
En logo mi, toi cuo moutis eture me, to ne ne-comono.
Cuo moutis, asus unde. To, ito undo "Radio". Di audus cuon moutis, di audus undon to.
Di refacus cuon moutis to en capo di i undo to.
Undo to gitas loce toto sece, sin tempon uture. A, toto audas undon to en tempo ido, en loco ado.
Mi relogas ton, to a undo "Radio", ido.
Mi conus cuo mi asus nere don uerito, mi uolus cogure ito to.
Capo Massimo Nuo tolis ouoin maiuo i peco.
ちなみにL玉だそうよ…何の事?
「命」と「魂」という言葉が別々に存在するのは、古代人がそれらが別々にあり得ると考えたからでしょう。
比較的有名なのは古代エジプトの「カー」と「バー」で、前者は死後地上にミイラと共に残り、後者が飛び回る(供物を受け取って運ぶ・等)…だったかと思います。
まぁ、大まかに「生命力」と「意志力」とでも考えれば良いのではないか?そうすれば、新たな考え方に発展出来ます。
一例:意志の無い(もしくは乏しいと思われる)生命体、アメーバとか植物などには生命力はあっても意志力が無い、又は甚小である。
いわゆる動物の類には生命力はもちろん意志力も存在する。いわゆる高等生物になるにしたがって意志力は向上する。ヒト至っては突然変異レベルで急増している。
(これを「智恵の木の実」と結び付けても面白い)
さて世の中には生命力を持たない「物」が多く存在するが、例えば絵や人形などはヒトに作られる段階で意志力だけ封じ込められる可能性がある(と怖い)。
要するに「魂が宿ってる」状態、またダルマに目を入れる行為等は、それに当るのではないか…色々考える秋の夜長。