第一回
乙女が山を降りて剣術を授けること
袁公が本を盗み洞窟に帰ること
生まれ変わりは果てもなし 家に情けは育まる
精霊いかに変幻し 風は灯花を吹き散らす
お話しいたしますのは、大唐、開元年間のこと。鎮澤地方に劉直という官人がおりました。かれは上を諌める太夫(たいふ)でしたが、時の宰相、李林甫(りりんぽ)の不正を告発したばかりに、職をなげうち、家に籠もっておりました。
「あなた、少しは口を慎んでくださいな」
口は災いのもとだと夫人は言うものの、正直な太夫がどうして黙っておられましょう。往来で公言してはばかりませんので、夫人は気が滅入って病気になり、薬、針、灸、その他あらゆる治療も利きません。
ある夜、夫人は寝台に座って少しばかり粥を食べ、腕を下げさせようと侍女を呼びました。真っ暗な中に、ぽつんと灯し火がともっておりました。入ってくるなり、侍女は申します。
「素敵ですわ、奥さま! 大きな灯花ができておりますわ」
「私が喜ぶとでも思って? そんなもの、目の前で落ちてしまったほうが清々するでしょう」
夫人がそう言うと、侍女は両手で灯し火の柄を持ち、ポンと叩けば紅い炎がパッと上がり、芯ごと灯花が卓の上に落ちました。すると後ろから一陣の冷風が吹き込み、灯花を右へ左へ揺らす様は、ひとつぶの火珠のよう。
「奥さま、ごらんになって。生きているみたい」
笑って侍女が言う間にも、灯は三回転、四回転、回りながらお椀くらいの火の球となり、地面に転がると、爆竹のような音とともに破裂したのです。火の星が散り満ちて、瞬時、何も見えなくなったところへ、三尺ほどの小柄な老婆があらわれ、夫人の前に座って挨拶いたします。
「奥方の病気のこと、婆は耳にしておりますぞ。仙薬を持って参ったゆえに、いただいてくだされや」
はじめは夫人もおっかなびっくり話を聞いておりましたが、しだいに神仙の不思議を信じる気持ちになってまいりましたから、これぞまさしく、
医薬が病を治すにあらず 人を救うは仏の御縁
ところが、薬のおかげで全快したものの、この婆さん、夫人に何かとつき纏い始めます。親戚面で家に出入りし、轎(やまかご)に乗り込んで四人に担がせ、前でわめかせ後ろを守らせ、騒々しいったらありません。人を走らせ、自分はふんぞりかえり、もし一言でも注意する人がいようものならヘソを曲げ、手招きひとつで、相手はドッと地に倒れます。何が起きたのやら。たらたらと血の滴る心臓が、いつのまにか婆の手に握られております。太夫たちが切々と哀願いたしますと、心臓は宙を横切り、ひとりでに死人の口に入り、その人は目を覚ますのでした。
この一件は人々を震え上がらせました。頭を悩ませた劉家では、あるとき、ひそかに人を遣って婆の跡をつけさせましたところ、なんと婆は、鶯[?]湖に飛び込み、水底に消えてしまうではありませんか。いったいあなた、この湖水はどうなっておるのでしょうね。水底に家が建てられますか? いいえ、こいつは妖怪に違いありますまい! これまでも、たびたび護符や呪文が用いられたのですが全く効かず、害はひどくなるばかり。そこで太夫は、南林庵という老僧を招き、龍樹王菩薩に祈りますと、天羅地网(もう)を布陣し、神将を遣わして妖婆を捕らえました。ついに正体をあらわしたその姿は、三尺ばかりの年を経た猴(さる)であります。太夫は龍樹王菩薩を平素から供養しておりましたため、誠実な志が極まって、今日の助けがあり、妖怪を斬るに到ったのでありましょう。こういう詩もありますぞ。
家でサルを飼ってはならぬ 駆けずり回って落ち着かぬ
灯火の怪異を語るなかれ 惑わされることなかれ
猴は人に似てずる賢く、机の上で窓を引っ掻き、皿を割り瓶を倒し、服を引っ張り、虱(しらみ)を掻き出し、アレを弄び、全くもって品性下劣。まして年を経たやつともなれば、怪異をなさぬ筈がございません。また、”猿”と書きます、猴より大きく油断ならぬやつがおります。猿の中には両の尻肉が繋がっている一類がおり、尻を伸び縮みさせながら移動し、さらに尻から生えた一本の腕で、うまく崖や木によじ登ります。たとえ人に射られても、まるで矢と戯れるようにして全く恐れません。かれらは道理を極め、陰陽の理に明るく、呪符を用い、その広大な神通力は書き尽くせません。が、とにかく歌にしました。
西南に生まれ巴山に棲めり 西南は明るく子孫は増えたり
辺境にありて巴西侯(はせいこう)の一族を名乗れり
心のどかに易を占い月明りに詩をうたう 誰が悲しみに誘われずにいられよう
尻長く通じ木の梢によじ登る 何者に射ることができよう
学問は伝わりしも誰もかれらの歴史を知らず 刀が伝わればかれらを剣客と見誤るのみで
神通力は龍粗(ぶっだ)に及ばぬが 変化は弼馬温(そんごくう)をも欺く
さて、お話いたしますのは、春秋時代、呉と越が戦っておりましたときのこと。呉王夫差(ふさ)は越王匂践(こうせん)を会稽山の上に囲み苦しめておりました。越王屈して太夫の文種(ぶんしゅう)を交渉に遣わします。卑屈なまでにへりくだることで、なんとか和平まとまり、越王は夫婦とも冠服を剥ぎとられ、石室の中で呉国の馬を養いながら三年過ごし、ようやく放免されました。越王は一途に復讐を誓い、思うに、呉国には”魚腸の剣”が三千本あり、とてもこれには適いません。そこで、太夫、茫蠡(はんれい)が申します。
「六千の精兵を選び、朝夕訓練させましょう。聞くところによると、南山にはひとりの乙女がおって、剣術に精通するとか。しからば、越王の命において乙女を招き、剣術の教師としては如何かと」
献策容れられ、招かれた乙女が半分も山を下りたところで、一人の白髪の老人に出会います。かれはみずから「袁公」と名乗りました。
「小娘、聞けばおぬしは剣術に精通しておるとか。このおいぼれも少しは嗜(たしな)んでおるのでな、どうじゃ、ひとつ試してみぬか」
「隠すつもりはなくてよ。おじいさん、あなたのお好きなように」 |