袁公は梢を透かし見て、一本の枯れた竹竿に目を止めますと、身を踊らせてひとっ跳び。竹竿を梢から抜き放って空中で身構え、落下しながら奇声を発し、乙女をまっぷたつにするほどの勢い。乙女は竹の先を手に取りましたが、なおも袁公は突いてきます。けれども乙女は少しも慌てず、竹の先を引き寄せ、身をひるがえして袁公を突きました。
「ぎゃっ……!」
たまらず袁公は樹に飛び上がり、一匹の白猿と化して逃げて行きました。この乙女、もとより凡人ではございません。じつは九天玄女の化身でありまして、呉王の無道をこらしめるため、玉帝より俗界につかわされたのです。また袁公のほうは、永年、楚国で修業しておりました例の神通力をもつ白猿。かつて楚の共王が荊山で狩したとき、王が放った矢を十八本まで奪ったのもこの猿で。共王は激怒し、楚国第一の射手で、百歩離れて柳の葉を射通した故事で有名な養由基を呼んで、猿を射るよう命じました。
(こいつはまずいぞ。やつの射る矢は神の矢だ。とてもかわせまい)
白猿はそう考え、ひとたまりもなく姿をくらまします。共王は大小三軍に命じて山狩りを行いましたが、行方が知れず、とうとう樹木に火をかけて山をまるごと焼き払いました。楚国では猿が亡び、庭木に害をなすと今に伝えられるのは、このためです。白猿は雲夢山の白雲洞に逃れ、ここで修業に専念し、今日、玄女が降臨したことを知って、わざと老人に姿を変え、剣術の試合を申し込んだのでした。それから乙女は越王との会見を済ませ、六千の軍隊の教練を終えると、再び茫蠡にも会わず、越王に別れも告げず飄然と独り去りました。詩で示しましょう。
玄女はみだりに現れず 六千の軍も凡流に過ぎぬ
天においては些細な術も 人間世界の第一等
お話しいたしましょう。乙女が南山を下りて越国にやって来ましたときは、王が大勢の迎えを遣わしまして、車も馬も絢爛だったのは無論のこと。けれど今は独りぼっちで、雲と霧の間を漂っておりました。帰り道を半分も辿った辺りでしょうか。生い茂る林の中から何者かが一声、叫びました。
「玄女の嬢さま!」
さらに一声。
「師よ!」
乙女が雲の端から鋭く見極めますと、そいつは袁公で。路傍にひざまずき、四種の”長命果”を載せた石盤を両手に捧げ、叫びます。
「師匠、弟子の真心を憐れんでくだされ。これをお収めになって、どうかひとつ教えを!」
四種の木の実とは、ハシバミの実と松の実とカヤの実と桃の種であります。木の実といえば、東南のタチバナ、ユズ、ヤマモモ。西南にはリンゴ、ナシ、ナツメがありますが、要するにこれらは季節もので、長くはもちません。ただこの四種の木の実だけが殻の中にあって、風が吹いてもひからびず、雨に打たれても湿らず、久しく新鮮さを保ちます。ゆえに長命果といいまして、昔から山住まいの食料となっております。後に画家が描いた「白猿献果図」は、まさにこの故事によるのです。さて、袁公は石盤を下ろし、何度もぬかずき、また喚きます。
「師よ、どうかお収めください。弟子は覚えておりますゆえ」
どうやら九天玄女の化身であると見抜かれたようですが、
「おまえの目はどうかしている。迷惑だ」
と言いつつ、見ればかれの充分な誠意が感じられましたので、乙女は四種の木の実を一つずつ取って真心にこたえ、残りは空に投げ捨てて、これでかれの布施を受けたことにしました。森の中にきちんと座って何度も拝んでいる袁公に向かい、玄女は袖から目玉くらいの、二つの弾丸を取り出し、与えます。両の掌で受け取って見れば、白く、鉛に似て、光沢はありません。
(もしこれが団子であれば、いくらでも食える宝物であろう。しかし、もしこれがただの鉛の弾なら、撃ち方を知らない老いぼれはどうすればよいのだ?)
猿猴の躊躇いを見抜いたように、玄女は弾丸に息を一つ吹きかけ「疾!」と叫びますと、光がほとばしり、瞬く間に左へ跳び、右へ踊り、二匹の金色の蛇のようにぐるぐる回り、頭の上と下を行ったり来たり。ギラギラと輝きわたり、ヒヤヒヤしてたまらず、耳の中では千万の剣戟が交わされているようで、袁公は目を堅く閉じたまま叫びました。
「どうか師匠! 弟子は先生の神威を思い知りました。だから、許してくだされ!」
そもそもこれらの弾丸は神仙によって練成された雌雄二つの剣でして、伸縮自在、様々に形を変え、納める時はただの弾丸に似て光りもしませんが、ひとたび起動すれば百万の軍を向こうにまわして、矢のように風のように縦横無尽の活躍をいたします。これぞ妖怪を斬っては百発百中といわれる神仙の飛剣。今、玄女はほんの少しばかり力を注ぐだけで、すっかり袁公を縮み上がらせました。かれは睫毛の先をちょっと削られたほかは無傷でしたけれど、もし心が不誠実であれば、一万回も首が飛んでいたでしょう。玄女が袖をひと振りすると剣の光が接収され、二つの弾丸に戻ったところを袖に収めました。ようやく目を開いた袁公は、全身冷や汗にまみれ、口を半分開いてものも言えず、九死に一生を得た思い。そのまま玄女について南山へ行き、一日じゅう花と果実を捧げたものです。そんな小心な真面目さを玄女も憐れみ、剣術を教え、雌雄二つの剣を与えましたので、かれは変化の術を得て、喜びは尽きないのでした。
このとき越王は六千の軍を率いて呉国を攻め、夫差を滅ぼし、江東の覇権を得ましたので、玄女の功績を思い出し、南山に人を遣って探させましたが跡形もありません。そこで山上に仙女の祠(ほこら)を建て、祭祀を絶やしませんでした。なぜ彼女はいなかったのか? それは越国が勝って玄女は天の玉帝のもとへ帰ったからでして、神仙は時が来れば現われて、また時が来れば姿を隠す。凡人には計り知れないものであります。 |