第二回
修文院での裁判のこと
白雲洞の白猿が霧をまくこと
よろずの法はむなしくて 如意にはならぬ浮世かな
宝の本を得る者は 瀛州(えいしゅう=仙境)へと飛び立たん
玉帝が瑤池(ようち)の宴席にいるところからお話しいたしましょう。天宮の守る執事たちがやって参りまして、面会を求め、袁公の姿ばかりが見えないとの報告。さらに修文院の舎人、禰衡(でい?こう)がかしこまって申しますには、
「白雲洞君が勝手に『如意冊』を持ち出し、下界に降りてすでに七日であります!」
玉帝の驚くまいことか。
「なんと、あの『如意冊』に記された九天の秘術を人間に洩らしてはならぬぞ。もしも悪人の手に渡れば、世は乱れ民は害されること必然じゃ。畜生め! 獣の心を改めず、天の法を犯しおって。許すわけにはいかぬ」
天門の報鼓が打ち鳴らされると、百神が集まります。玉帝は雷神豊隆を本部へつかわし、雷公と電母を伴って急ぎ下界へ降り、袁公を生け捕りにして、本院に連れて来るよう命じます。そこで修文院の舎人と北斗真君の列席を待ち、裁判にかけようというわけです。
ときに袁公は、天門で様子をうかがっていたところ。ちょうど今の話を耳にしました。
「ふん、ピーチクパーチクうるさいやつらよ。眠る暇もありゃせんわい。さてどうなることやら。一応『如意冊』の入っていた袋は残して、別の本と摺り替えておいたんだがなあ」
ひとっ走りして、袖の中をまさぐるけれど、何もなく、ぎょっと息を呑みました。そういえば石床の上に置きっ放しで、慌てて雲の上で踵(きびす)を返すと、白雲洞へ戻ります。すると、無事に帰って来たぞとばかりに、子猿や孫猿たちがわらわらと取り囲み、消息を尋ねます。このとき袁公、むらむらと情が湧いて、一言半句にお茶を濁しつつ、どっかと腰を下ろして談笑を始めました。それから大急ぎで石床まで走り、「如意冊」を引っ掴むと、身をひるがえして再び天門へ上ります。そこへちょうど、駕篭(かご)や車でゴロゴロと乗りつけて来た雷衆と鉢合わせ。乱れ飛ぶ稲妻の中に電母があらわれ、火の鞭を振り回せば金の蛇が踊るようで、袁公はぶったまげます。
「やあ婆さん、やってくれるわい。だが、わしの剣術も、ちと思い知るがよい」
そう言って雌雄二つの剣を取り出し戦いを挑んだものの、雷衆の打ち鳴らす鼓の音は、まるで山が崩れ地が裂けたようで、めらめらと燃え盛る雷火に取り囲まれ、どう見ても炎上する城の中での困り顔。いささかひどく毛皮を焼かれて、まさに見ザル聞かザル状態。けれども言わザルわけにはゆきませんので、叫びました。
「皆さん、話があります、話し合いましょう、荒っぽいのはいけない」
「上帝の御命令で『如意冊』を取り戻しに参った。話があるなら修文院で申せ」
雷公がそう申しますので、
「あります、ありますよ、ありますとも!」
と、連呼しながら、いったい上帝の命令で、わしを修文院へ連れて行くのはどういうわけか。あそこはわしの庭みたいなもんだし、ひょっとすると本を差し出すだけで済むかも知れんぞ。袁公はそう考えて、すでに七割がた戦意喪失していたところでもあり、そのうえ雷衆の威力を見せつけられて、これ以上抵抗する気にもなれません。降参すると鉄の首枷をつけられ、雷車に乗せられて、ゴロゴロと天門に到り、修文院に連行されました。まさにこれ、
青龍が白虎を連れて行く 吉凶まったくわからない
さて修文院の舎人、禰衡はすでに座にのぼっております。おのずから溢れる品格は「西江月」という詩でも証されております。
詩を作りては時の美少年を欺くも 才を王侯に誇ろうとはせず
身は破れしも投げる所もなく 柳の下に文筆の友を招くのみ
鸚鵡洲の前に夢はやぶれて 漁陽の鼓になげきの声をきく
清流の中に一生を強く正しく 天において修文院の職をさずかる
間もなく、旗や幟(のぼり)や絹張りの笠などが見えまして、北斗星君の一行が、わらわらと到着しました。こちらも同じ詩にございます。
七曜は天の中心にありて 陰陽の根本は北の門に生ず
空より垂れし柄にて星々を指し従え 四つと三つで柄杓と定まれり
天の道は南に生じ北に死す 七つの公理は刑罰も公明で
前に揺れ動くいくつもの旗のように 人の法令はものの数にあらず
修文院の舎人は階段を降りて挨拶し、上座を星君に譲ります。そこへ雷公と電母があらわれ、袁公を解き放って身柄を引き渡し、ついでに玉帝の命令書を返しますと、本部へ帰って行きました。
袁公は電母の雷撃を食らって、ふらふらです。吏卒が左右からかれを押して、階下にひざまずかせると、声高に申します。
「盗書の賊、おもてを上げい!」
見れば両側に旗が整然と並び、棍棒がいかめしく林立しています。仰ぎみると、二人の裁判官が端然と座っており、右は修文院の舎人ですから、まあ上官として当然いるでしょう。こちらはどうでもよく、左へ首を巡らしてみれば、黒衣に玉簡を握っているのは、明らかに北斗星君ではありませんか。目ン玉が飛び出るほど袁公が驚いたわけは、そもそも南斗は”生”を、そして北斗は”死”をつかさどるからでして、この星のもとに生まれれば、顔回(がんかい)のように夭折してしまいます。もしも南斗星君が机に帳面をのせていたのであれば、まず九十パーセント助かりますところ、閻魔大王が寄越した死の星の精、北斗星君が筆をとり、ちょっと何か書くだけで、命は吹き飛んでいるのです。が、まだ生きているところを見れば、玉帝のお許しが期待できそうで、袁公は起死回生の思い。凶だらけの中に少しばかり吉のきざしが見えた気はするものの、今日出会った中で最も恐ろしい相手には違いありません。
平伏して袁公は「如意冊」を両手で献上し、何度もぬかずきながら、ひたすら「死罪を」と唱えます。
「たわけが! 天の封印を勝手に開き、秘法を盗みおって。管理人みずから盗むことは斬罪に相当するぞ!」
北斗星君に一喝されて、袁公はただ「助けてくれ」と叫び、顔も上げられなくなりました。横から舎人の禰衡が口を添えます。
「それでおまえは天の秘密をもらしたのか? 正直に申せ」
「わしは一生タワゴトは申さぬと決めております。『如意冊』の秘法はいっさいがっさい、白雲洞の両壁に刻みつけました。まだ見た人間はおりませぬ」
ほお、なかなか正直なやつだ、と、星君は内心考えつつ、また怒鳴ります。 |