第二の風母には八方の風がおさまっております。八方とは、すなわち、東方の風を滔風といい、南方の風を薫風といい、西は飆(ひょう)風、北は寒風、東南は長風、東北は融風、西南は巨風、西北は[厂+萬](れい?)風。合わせて八つの風が、風の神であります風伯、または、飛廉(ひれん?)が持つ風嚢の中にあるといわれます。
風の歴史を人も語れば 天の庭でもこれをつかさどる
飛廉は鹿の体と蛇の尾をもち 風伯来たりて雨を降らせば
少女は駆けずり孟母は狂い 姥はせわしく指に紅を塗る
千里を揺らし駆けめぐる勢いなれど 風嚢のあくび一つにほかならぬ
第三の雲母は、世界が初めて天と地に分かれたとき、山川の気が結晶したものです。段々に連なった様は花蓋に似て、五色に変化します。豊作の年は黄色、敵が来襲するなら青、喪に服すべき年は白。黒なら雨が多く、赤いと旱(ひでり)になります。もし鮮やかな緑の中に五色が宿れば大吉で、何でも願いが叶うと申します。
白き衣も蒼き犬にも作意はなけれど 赤い花や金の羽根に兆しは宿れり
たとえば思うにまかせぬときも 理由はきざしに隠れていよう
第四の霧母は巻いた布に似て、長さは八、九尺。またの名を”霧幕”といい、ほんの先の方を広げただけで、明らかに蒸気のようなものが沸き始め、しゅうしゅうと噴き出します。もし広げてしまえば、百里にも及んで全く何も見えなくなるほど。巻けば、桶に吸われる水のように、すーっと霧気は収まります。
神話のむかし、黄帝が位にあった時、極悪非道な諸侯が一名おりまして、名を蚩尤(しゆう)といい、この霧幕を所持していました。また刀や戟(げき)や大弩を発明したのもかれで、天下無敵の名乗りを上げて、黄帝に叛旗をひるがえしました。黄帝と蚩尤の両軍はタクロクの野で激突。帝の軍勢は霧にはばまれて西も東もわからず、三日三晩、なすすべもありません。そこで帝は九天玄女に秘策をさずけて地上へ下ろし、ひとつの車を作らせます。その名は指南車。車の上に一個の木でできた人形が立っており、片手を真直ぐ伸ばして一点を指さしています。車はその方角へ右に曲がり左へ折れますが、指は常に南を指しているのです。蚩尤は敗れ、斬られますと、血が土に染みて塩となりました。今の陜西慶陽府の城北にある塩湖がこれです。兵器を創造した罪は世界を汚し、今でも万人がかれの血を食っています。霧幕は九天玄女が持ち帰り、玉帝に献じて、天庫に収められました。
黄帝は神々の聖君なりて 蚩尤は悪しき凶星なり
霧幕が天庫におさまる前に 天は光を取り戻せり
ところが、後にこんな詩を作った者がおりましてね、
四母は珍奇な宝というが 天にありともなしとも知れず
晴れても曇っても陰陽の理 神々の姿は見えもせず
気母と風嚢と雲蓋と霧幕、四つの宝を荒唐無稽と否定しておるようですが、まともに天を観察したこともない浅見薄識のヤカラと言わざるを得ません。例えば、鏡が火を取り、蛙が水を出し、虎が風を起こし、トカゲが雹を降らせる。世の中はこれほど奇々怪々で不思議に満ちているのに、どうして天界のことがわかりますか。
それはさておき、玉帝は袁公が正直であり、九天玄女の高弟でもありますので、洞窟を守る宝として霧幕を与えました。
「この霧幕は、ほんの少し開いただけで十里も霧に包まれる。全て開いてはならぬぞ。世界じゅうの人が困るだろうからな。おまえはこれから心を入れ替えて、天に昇る日まで修業に励め。そうでなければ、天誅は免れず、無間(むけん)地獄に堕ちるであろう」
袁公はひたすらお辞儀をしました。また舎人に頼んで封印をもらい、秘册を箱に戻して封を貼り、修文院に納めました。それから舎人と北斗星君に感謝を述べ、右手に白玉の香炉を持ち、左の脇に霧幕をはさんで、天界を離れ、雲夢山白雲洞に帰ったのです。命令書にしたがい、子猿や孫猿たちを一帯から追い払って独りぼっちになった時は、さすがに淋しかったのですが、命も助かり、二つの宝もありますから、一悲一喜というところでしょうか。かれが香炉を石室の前に置くと、もくもくと香気が立ち上り、空を貫きました。また霧幕をちょっと開けば、あっという間に十里が霧の中となり、山洞がまるごと白い袋に包まれたようで、視界が全く効かなくなりましたから、向こう側から見ても同様でしょう。
「こいつは面白い。世間では何事も有名無実で、この場所も言わずもがなであった。が、今日からは”白雲洞”に間違いなしだ」
そう言うと香炉の前に戻り、四方を拝んで天恩に感謝しました。以降、怠らずに励み、毎年五月端午の日の午時には霧幕を巻き上げ、天に昇って玉帝に朝見し、また戻って霧幕を広げ、ここを隔絶された別世界に変えます。けれども、洞の中では四季を問わず様々な花が咲き、果実が実って、すべて袁公が一人占めにできるのです。暇なときは、雌雄二つの剣を舞わせて遊びます。
両壁に刻まれた百八の変化の法は、本を盗んだ時に覚えたものの、習得には魂魄を賭けました。その中にある”豆人紙馬の術”や”鬼刀神剣の法”など、様々な殺戮の技を見るにつけても、かれの心中は悔やまれます。
「わしは玉帝が秘密にした訳をいぶかしく思っていたが、今にして思えば、これらの術は心の善悪にかかわらず用いられる、まさに外道だ。箱を開けるべきではなかったのだ」
そうして筆をとり、石壁にこう添えました。
コレナル天ノ秘法ハ、玉帝ノ惜シマレル所ナリ。モシ、縁アッテコレヲ見タ者ハ、天道ニ背カズ、民ヲ助ケヨ。毎年十二月二十五日夜半、子ノ刻ニ、刀ヲ口ニクワエテ屋根ニ上リ、北斗ニ向カッテ、コウ誓エ。弟子某ハ、若干ニテ術ヲ得マシタガ、決シテ過チヲ犯シマセン。モシ、民ヲ害シタ時ハ、雷神ノ罰ヲ受ケマス、ト。
……これらの文字を彫りつけた袁公に、何か思惑があったのでしょうか。いいえ、かれは単に自分が雷神に捕えられ、北斗星君に問われた経験を踏まえただけでしょう。十二月二十五日は玉帝が降臨なさる時です。きっとかれは、素直な気持ちを書き込んだだけでしょう。が、しかし、思ってもごらんなさい。何と言っても壁に刻んであるのですから、天がかれに消せと命じなかった以上、再び盗み見る悪人が出てきても当然ではありませんか。まさにこれ、
よいことばかりはありもせず 誰も飛びつかぬ筈もなし
果たして、いかなる者が術を盗みにくるのやら、続きは次回ぶんにてお話しいたします。 |