○五郎左衛門、帰る
「私はそなたと比熊(ひぐま)山で出逢った。そなたが難に逢う日が近かったのでな。時を待って脅かしたが、恐れないものだから、思わぬ時間を食い、仕事のさまたげになった。中にはわざわざ噂を聞いて来るやつもいたが、私の仕事でないから放っておく。しかし、無理にでも寄って来れば自ら難を招くことになるけれど我々の知ったことではない。さて、これから私は九州へ下り、島々をわたる。今すぐに出発するから、以降、何も怪しいことは起こるまい。そなたの難も終わったので、神野悪五郎も来ないだろう」
そう言って五郎左衛門は平太郎に、ひとつの槌(つち)をわたした。
「これを譲ろう。一生、持っておくがよい。以降、もし怪しい事が起これば、北に向かって『山ン本五郎左衛門来れ』と呼び、槌で柱を強く叩くのだ。私は即座に飛んできて助けるであろう。では長々の逗留、かたじけない」
礼を言う感じで五郎左衛門はちょっと頭を下げた。平太郎も少し会釈して、ふと顔を上げれば、冠装束(かんむりしょうぞく)を着た貴族らしい人の上半身が、五郎左衛門と向き合い、平太郎を護っているように見えた。産土(うぶすな)神が来られているのだと感謝するうちに、五郎左衛門は、
「私が帰るところを見送りたまえ」
座を立つので、どのようにして帰るのだろうと思い、跡について縁まで出ると、山ン本は庭へ降り、また軽く会釈する。こちらも思わず身を屈めたけれど、なんだか口惜しく、討つために身を起こそうとするのだが、大きな手で押さえられているように少しも動けなかった。
どうにか脇差に手をかけようと焦ったが、手が縁から離れず、仕方なく押さえられていた。
ようやく呪縛が解けたので、頭を上げてみれば、庭じゅう、駕(かご)に駕かき、槍、長刀、狭箱(きょうばこ)、長柄(ながえ)、傘、などを手にした徒士(かち)や小者、そのほか大勢の供が満ち満ち、居並んでいた。
駕は普通のものだが、供の者たちは皆、異形(いぎょう)の化け物で、奇怪な姿に、それぞれ羽織、袴(はかま)などを着て控えていた。
(しかし、まさかあの大男が駕に乗ることはできまい)
と、見る間に五郎左衛門は片足から乗り込み、身を折り畳むように何の苦もなくおさまると、やがて荒々と毛の生えた巨大な脚を駕の中から突き出した。
行列が進み始めると、左足は庭にありながら右足は練塀の上にあるものもあり、鳥獣戯画のように細長くなるものもいる。あるいは体が半分になって行くものもいる。様々な異形が廻り灯籠の影のように空に上り、皆、星影のように、しばらくは黒く見えていたが、
「ああ、雲に入る!」
そう思ったときには、風が吹くような音とともに消え失せた。
平太郎は夢ともうつつとも判らぬまま、ただ呆然と眺めていたが、夢でないことを確かめるために、障子を開けておき、敷居の溝には扇をさして、心を静めて蚊帳を吊り、休んだ。昼からの疲れが出て前後も知らず眠り、夜が明けるとすぐに起きてみれば、扇はそのまま。庭を眺めると、隙間もなく爪で掻き散らした跡がある。
「夢ではなかった‥‥」
部屋に入り、見廻すと昨夜、五郎左衛門と対面したところに、ちゃんと槌があった。手に取って調べれば、たいへん変わった槌で、大きさは槌の部分が六寸(約18cm)、柄の長さが一尺(約30cm)ほどと、普通のものと比べて柄が長すぎる。両側の切り口は木を削いだようで、真中が高く膨らみ、材質は判らない。丸木の皮をそのまま剥いたものか、塗ったように黒く、柄は両側が太くなっていた。
なお、この槌は今は広島の国前寺にある。もとは三次(みよし)の妙栄寺に納められたのだが、そこは国前寺の末寺であり、妙栄寺から移ってきた住職が、享和二年六月八日に持ちこんで納め、今に到っている。
平太郎はこの槌を持って八月一日の早朝、兄の新八の家へ行き、昨夜のことを詳しく話した。
「なんとも不思議な話だが、いずれにしても、物怪が槌を残して帰ったことは、そなたの手柄。大切にすることだね」
いろいろと話して家に帰ると、その後は、鼠が騒ぐほどのこともない。誑(たぶら)かす手だろうかと、ずいぶん用心したが、まったく何の怪しい事も起きないのだった。
その後、平太郎は改名して稲生武太夫と名乗り兄の跡を継いだ。
「あのときは若くて気づきませんでしたが、何か珍しい事か、妙薬か、まじないのひとつでも教えてもらえば何かと人の為にもなったでしょうに。ただ神野悪五郎のことを聞いて、この槌をもらっただけというのは名残惜しい気がします。山ン本五郎左衛門の顔は、今でも忘れられません」
後に、かれはそう語ったとか。
世の中に狐や狸の怪異は、いろいろとあるけれど、このように三十日も続いたことは古今、例をみない珍しいことだ。まったく山ン本五郎左衛門の言ったとおり、平太郎がよくこらえたためであり、また今の世にこれほどの勇気の持ち主は、もういないものとみえる。(完)