私達の手元にはいつもたくさんの食材が届けられる
肉であったり魚であったり野菜であったり
それらは既に「そうあるもの」という形で目の前に届けられる

しかしその前に必ず
誰かが捌いている事実を忘れてはならない

次から次へと送られてくる食材になるべきものたちの断末魔を
その人が代わりに請け負ってくれているのだ
だから私達は通常その残酷さを感じない

実験用のラットだってそうだ
私たちの命を守る薬の開発のために
身体をわざと壊され、染色体を弄られる
彼らはそうして人の役に立ち
そのまま消えていく

ではウサギを蹴り殺すのはどうか?
どう違うのか?
ウサギは彼らの残虐性を満たすため
一時の快楽をもたらすために役に立っているではないか
…という人もいるかもしれない

でも、それではその命が後のものを「生かす」という連鎖から外れてしまう
だから「世間」は目くじらを立てて怒るのだ
自らの残虐性を「ないもの」として隠し通すために
(反面教師になるという意味もあるが語るべき質が異なる)

私達が受けるたくさんの恩恵の下で
多くの命が眠っている
それを忘れてはならない

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2006.02