とりあえず「赤ちゃんの心」(後)

もう一つ同じような経験(純粋さとの接触、意識・視点の転換)を出来る方法があるとすれば、痴呆老人と接することです。

彼らは赤ちゃんを過ぎ、私達を通り過ぎて、再び純粋に「自ら」に戻ります。
それこそ無垢に自分の感情のままに動くので、事実、閉口していらっしゃる方もおありなのではないでしょうか?
身体のサイズこそ違いますが、彼らが求めているのは小さな赤ちゃんと同じもの。
記憶を失っていく不安をも埋めるほどの「優しい愛情」です。

先日、お会いしたご老人は私が帰る時に子供のように両の頬をぷっくりと膨らまし、
「なんで帰っちゃうのぉ」
と、愛嬌たっぷりにおどけられました。
それが、その人の本質を表すもの。
知識や記憶は失っても、表情や言動の好みなど、記憶された行動パターンはそのまま如実に表れます。

私達がそこから学ぶべきものは純粋なものに変化した時にその人がどうであるか、ということ。
その姿を見て、理解してほしいのです。

彼らの表情に表れるものはそのまま彼らの人生がどういうものであったかということに他なりません。
笑顔が多ければ、そういう気持ちで過ごす日々が長く、幸せに続いてきたということ。
憂いが多ければ、その人の地位や名誉がどうであれ、苦しく思い悩む日々が多かったということ。

ここで表れる表情もいわば「反射」です。
嘘の表情で取り繕うことを彼らはほぼ出来なくなっているのです。
自分が一番多く経験してきた感情(表情)を表情筋(顔の筋肉)は記憶しています。
それゆえ、それまでに覚えた顔を(たくさんの経験を蓄えたあなたの顔に)そのまま貼り付けるのです。

怖いですか?

怖くないなら、今のあなたは多分充分幸せな人。
怖いな、と少しでも思うなら、今の自分が少しでもたくさんいい気持ちでいられる時間を作ってあげましょう。

将来のあなたを、いつか誰かが介護してくださる日がやってくるでしょう。
その時世話をする人はやっぱり赤ちゃんの場合と同じように、ムスッとしている人よりは笑ってくれる人の方を世話してあげたいと思いますよね。
今を楽しく笑顔で過ごすことが、老後のより快適な世話を保障してくれるかもしれない!?
ちょっと気が早すぎるかもしれませんが、そういうことなんです。
老後の自分、大切に出来るのは結局今の自分の感情の積み重ねなんですね。

先ほど登場した方、可愛らしいと思いませんか?
こういう拗ね方をされたら、またお世話しに来てあげよう、という気になるのではないかしら?
世話する方だって、時間的生活的に来れる来れないよりも、感情で世話したい世話したくないが強く働いたほうに行動も向くと思いますよ。
老いが避けられない道だとしたら、自分の本質を綺麗でいさせることだって充分に老後への備えです。

いつまでも綺麗なあなたでいられますように☆

※少し触れ合うだけなら、介護はそんなに大変なものじゃありません。
実際、毎日の介護はかなりの重労働であり、徘徊や奇行に走る方を世話する場合は自分の時間をほぼ持っていかれることすらあります。
ですから、もし身近に世話をしなければいけない人がいる場合、誰か一人にその役目を押し付けるのではなく、どうかあなたが少しでも助けてあげてください。
介護疲れでノイローゼになった方も少なくないんです。
ちゅりの会社の働き盛りの男性も「このままじゃ(祖母だけじゃなく)自分の母親まで壊れる」と介護のために退職していきました。
それは人として綺麗な事だと思います。

綺麗事じゃなく、こういう問題を抱えている家庭は多いことでしょう。
若いあなたにはそれは退屈でしかないかもしれません。でも、あなたのお陰で少しでも幸せな時間を持てる人がいるとしたら、素敵なことだと思いませんか?

犠牲になる必要はない。
あなたの優しさはきっと違う形であなたに戻ってきます。
誰かの笑顔を守ることであなたの笑顔も守られるから(^−^)
優しさで磨かれた心は同じように優しい心の主を引き寄せるよ☆

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