とりあえず「罪の意識」

カウンセリングの際、とても厄介なのがクライアントさんの「罪の意識」である。
常識的に考えてそこまでたいしたことではないのに、特に自罰的な傾向のある人の場合は、その些細な(とは間違っても口にしてはいけないが;)傷のせいで自分を苛み続ける。

例えば、人によっては街中でゴミをポイ捨てすること、「そんなの別に」と思っている人は気にもせずに毎日それを続けるだろう。
でも、自罰的傾向がある人の場合、それを人に言われて仕方なくやったとしても、「あぁどうしよう、大変なことをしてしまった。あのゴミを警察の人が拾って指紋を分析されたら自分だとばれてしまう。そうしたら自分は前科者だ。どうしたらいいんだ。もう一度戻って拾いに行こうか。もし、回収された後だったらどうしよう。もう生きてはいられない」などと考え、ぐるぐると自分を追い詰めてしまう。

確かに悪いことであるかもしれない。
でも、前者後者のここでの捉え方、意識の違いはあまりに明らかであろう。
それにはモラルの線引きの問題、その人が受けてきた教育の問題が大きく関わってくる。
後者は本来とても「いい人」であるに違いないキャラクターだ。
しかし、こういう精神構成をしているせいで、心の中には「どうしよう、どうしよう」がたくさん詰まっている。
それは確かに「正しいか間違っているか」という観点から見ると間違っているかもしれない。
でも、実際気にしすぎるという病は、自らを滅ぼすことにしか役立たないのだ。

こういう場合にはまずNLPの思考法を使うと有効だと思うが、後者の立場になりがちなあなたに伝えたい。
自分を痛めつけすぎる前に、周りに意見を求めてください。
こういうことがあったんだけど、これってどうかしら?と人に話してみてください。
あなたにとって信頼できる誰かであれば、一般的に見てどうであるかという客観的な意見をきちんとくれるだろう。
勿論、一般のカウンセラーに意見を求めるのもよい。

とにかくだ。
自分ひとりで苦しくなるな。

君に伝えたいのは、それだけだよ。

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