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文法用語集・な読み物

< お゛お゛お゛〜!ねあん いんじどん あどってぃ かいろ そ〜!? ぱいっせ ろやかれ〜!
 言語関係の文章を書いたり編集したりするに当って、基礎知識としての「文法用語」を並べ立てて当方の考え方のままに解説してみました。
 よって一般に流布している解説とは相違があるかも知れませんが、よく知りません。人工言語などを作るような人間は自分勝手なのです。

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名詞
 モノの名前。呼び名。後述の「固有名詞」に対して一般名詞とも呼ぶ。話し相手も知っている事が前提になる部類の言葉。
 言語によっては格変化(曲用)というモノがある。日本語では変化はしないが(不変の)助詞を付ける事でこれに換える。
 言語によっては男(中)女の性別がある。また単数と複数をはっきり区別する言語の方が実は多い。でも英語では性別は消失し、仏語では発音に於いて単複同音のが多くなってたりで、必然ではない。ただし独語ではグッチャグッチャ残っている。
 欧州人にとってはある方が普通であり美しいらすぃ。

固有名詞
 名詞の中でも「東京タワー」とか、「やまだたろー」とか、世界に唯一のモノを呼ぶ名前。話し相手が知っているかどうかは不定。
 「唯一神」とか「太陽」「月」などは若干ニュアンスが違うが、似たよーな扱いをされる事があり得る。
 たいていは不変だが、言語によっては固有名詞でも格変化させる事がある。

代名詞
 名詞に代わるモノ。自分をいちいち名前で言わないで「私」という、そういう事(年齢対象いくつかこのページ?)
 ただし一般名詞・固有名詞でも「九州のやまだたろー」の様に代名詞的に使われる事もある。

関係代名詞
 日本語に無いので難しく考え過ぎる傾向があるが、単なる、例えばゼスチャーゲームに於ける「…は、コッチに置いといて…」に過ぎない。

数詞
 いわゆる「」の事。日本語等東アジア言語には、これに序数詞というモノ(一つ・二つ…、一匹・二匹…)が付随する事が多い。

物質名詞
 日本語感覚でない名詞の区分である。
 印欧語で「 water 水」など、素で言ってしまうと三次元宇宙全体の水を表すらしい。だから「 a cup of water (この宇宙全体に存在する内の)カップ一杯分の水」と言わなくてはならないらしい。当然 Give me water!通じない。もちろん数えられないので、後述の不定冠詞はフツー付かない。

 …と申しましたが、もっと単純に「分けてもちぎっても『水』に変わりは無いから」が正解の様です。例えば「木の机」を分け(壊し)たら「木切れ」に変わりますね。

総合語?
 …というのは、スズメ・カラス・ツバメ・ニワトリ…に対する「鳥」という単語の事である。
 構成が客観的に未成熟・未整理である言語(と断じて良いのかは不明・排他的ではあろう)では、しばしば欠落している。
 例えば日本語での「こめ・めし・いね」…英語話者に「田んぼ」を「 rice field 」とか言われると、「御飯(めし)で舗装された広場(湯気付き)」を想像しないだろうか?
 人工言語では逆に積極的に活用せよと、このサイトでは推奨されているが、活用し過ぎると知的水準の低い語り口に聞こえる。(寿司屋でも困る)
 ただし補足的な単語で弁別すれば問題無い。「黒鳥=カラス」「風鳥=ツバメ」等。


動詞
 動作を表す言葉。現代日本語的には、「ウ段」で終わるのが特徴。流行り言葉では「名詞+る」で容易に合成出来る(「ボコる」「ハブる」等)が、廃れやすい。エガワる。
 言語によっては人称変化を伴う。英語には「三単現の s 」という残骸があり、悩まれた方も多かろうと存ずるが、アレはアレでちゃんと残った理由がある。
 英語は「動詞」も「名詞」も「形容詞」も、みんな変化無しのカタコト。一人称二人称ならどれが動詞か判るけど、三人称の人名とか(固有名詞)では判らなくなるぞ。だから目印に -(e)s を残しときませう。という事。多分。
 日本語には人称変化はないが活用がある。以下で説明する。

動詞・終止形
 言い終える場合の本来の形。ただし現代日本語ではよく分析すると、実は連体形だったりする。現代日本語下で終止形物言いをするとやたらぶっきらぼうに聞こえる。

動詞・連体形
 直後に名詞の類(古い言葉で言)が連なるから連「」形と呼ぶ。
 元々は名詞の動きや様子の説明としての言い方(平たく言うと修飾語)だったのだが、「係結び」的強調表現(倒置法)の多用から文末に居座る事が多くなり、いつしか本来の終止形を駆逐し同化せしめた。
 それゆえ、現代日本語では終止形連体形は同形になっており、文法説明が厄介である。(区別がある事すら知らぬ人も居る)

動詞・連用形
 基本的には直後に助動詞(後述・古い言葉で言)が付く形である。日本語ではなぜか名詞形になったりする(「酒飲み」「吸い飲み」等)。
 ただし造語能力に多少の難があり、上の「飲み」という形では、前者は「行為者」を表すが、後者は「行為の為の道具」またはその「行為自体」を表すという、一貫性を欠いた用法になっている。

(未然形・已然形(仮定形)等は、解明未到らしい)

動詞・命令形
 文字通り話し相手等に命令する場合の用法。日本語以外で動詞に人称変化がある言語では、たいてい二人称形で事足りる様である。

助動詞
 動詞を助けるから「」動詞と呼ぶ。「行くだろう」「行きたい」「行きます」「行かれる」等々。並べてみると案外連用形接続ばかりではない。
 日本語では動詞と一体化して活用し、一つの動詞としてふるまう。
 「飲ま・せ・られ・得・たく・なかった・だろう」の様な形もあり得る。赤字部分は全部助動詞である。また、いちいち直後の助動詞に合わせて各々が個別に活用している。

動名詞
 日本語には無い概念。名詞化した動詞、と言えば簡単かも。おおむね「〜する事」で訳されるが、日本語では聞えの良い訳語に適宜置き換えるのが通例。
 例:watching →「見る事(訓読み語)」→「観察・監視(漢字語)」等。

不定形
 非日本語概念。「動詞の原形」「辞書に載ってる形」と言われる。「〜する事」であり、日本語では動名詞等との区別を述べにくい。
 印欧語では、だいたい助動詞の効力を受ける形である。

現在分詞
 非日本語概念。英語で言う -ing 形である。「〜している事」。動作の継続性を説明する用法で、副詞的(後述)な性質がある。またそういう性質を持った動作行為を表す名詞になったりする。

過去分詞
 非日本語概念。「〜された事、またその結果」を言う形。過去の済んだ事を説明する用法で、形容詞的(後述)性質がある。あくまでも「〜さ・れ・た」である事に注意。
(他動詞の場合・自動詞では完了的になる)

他動詞と自動詞
 動詞の種類。簡単に言うと、「〜を」を使うのが他動詞で、主語がはっきりしている。自動詞は主語が目的語でもある。
 「車がぶつかった(自動詞)」よりも「車ぶつけた(他動詞)」の方がキツイ言い方だし、犯人を明確にしないと座りが悪い。
 「ぶつかった」では車が勝手に動いたかの様にも聞える。日本語が曖昧と言われるのはこの為だが、狭い島国でギスギスしない様にという生活の智恵からかも知れない。
 逆に主語を瞬時に把握出来ない者を「ヤボ」と呼ぶ。日本人的には外国人はみんなヤボなのは仕方の無い事である。
 殊に人工言語に於いては、これらの区別はハッキリと行われないと、後で絶対に読めない言語になる。

日本語の過去形・未来形
 実は日本語には過去形や未来形は無い、と考えている。後者については、全て話者の「推量(思い込み)」であると考えれば納得出来ると思う。
 前者も、分解してみると「食べた」→「食べたり」→「食べて・あり」→「食べて、そして今、私はここにある(居る)」という「手順・順番」で表現しているだけである。
 ここらが、時間軸というレール(過去があって、今あって、未来がある!)を持った印欧語族の類とハッキリ違う点である。


形容詞
 名詞を飾る要素の総称。日本語では「〜い」で終わるモノ。重みとしては名詞に等しいが、活用する点で古くから用言に分類されている。
 幾らかの言語では名詞との区別が無かったりする。欧米語などではそのまま、その性質を持った総合的な名詞になり得る。 young →「若者一般」等。
 名詞に性別や格変化のある言語では被修飾名詞と共に同様に活用する事が多い。けど、英語ではほったらかし化。good boysgood は無変化。
 言語によっては動詞の成分と融合して過去形や未来形が存在する。日本語では副詞+動詞の過去未来で表している。 良かった → 良く+あった

形容動詞
 分析すると「名詞+断定助動詞」という形になり、日本語では概ね「〜だ・〜な」で終わるモノ。
 日本語で唯一、終止形連体形に相違がある。
 ○「奇麗花」 X「奇麗花」(秋田弁とか方言除く)
 用法を有意義に使いこなせば便利なハズなのだが、「問題日本語」の様に、耳障りな若者言葉として処理されている。

形動詞
 前項に似ているが、日本語的概念ではない。日本語で言えば連体形が近いと思われる。つまり名詞に拘わるから「形」の字を入れた呼び名だと考える。
 言語によっては過去形とかがあったり、妙に豊富で骨折りな場合がある。なお、同じ様な感覚で「副動詞」とか出てきたりするが、日本語で言う「〜して、…」みたいなモノ。

副詞
 用言(動詞・形容詞・副詞)を飾る要素の総称。日本語では「〜く・〜に」で言う事が多い。また「ますます」「ちょうど」等の語尾の付かない独立した副詞も少なくない。
 会話調の英語等では文末にポンと裸名詞のまま副詞として出現する事もある。
 Keep It Simple, Stupid. 「その事を単純に、アフォに保て。」の様に。

助詞・助辞(前置詞など)
 まあ概ね、日本語で言う「てにをは」というモノ。古式の言語ほど、単語一つ一つの変化が豊富であり、判ってれば至極判り易いのだが判るに至るのに苦難の度が過ぎる言語となっているのが通例。(サンスクリットなど)
 そこで分析的に単語の変化を規格化して別の部品で表わそうかと出現して来たモノらである。部品なので基本的に自立語ではない。何かに引っ付いて始めて用をなす。
 …ハズだったが、英語の out of の様に自立出来るモノもあるのが現状である。まァ、細けェ事はイイんだよ、細かい連中だから。

「〜は」と「〜が」
 イイカゲンに言うと、英語の冠詞 a, anthe (後述)の区別に近い。

 既知 は 未知 →「これはペンです。」(「これ」は目の前に見せられてる)
 未知 が 既知 →「これがペンです。」(「ペン」について論じていた所)

 …という説があるそうである。なお、こういう区別がある言語は日本語と隣りの言葉ぐらいらしい。ただし若干ズレてる部分も少なくない。
이것무엇음니까?「これ何ですか?」(「これは何ですか?」のニュアンスで)

 なお、「〜は」にしろ「〜が」にしろ、意味合いは「=(イコール)」である。決して主格に付く助辞ではない。

冠詞
 英語で言う a, an, the の事である。実は形容詞の一種、つまり付けなくても(カタコト感覚だが)通じはするのである。日本語翻訳では、あえて訳さない事も多い。
 a, an は「1・一つ」、the は「それ・例の」が元の意味。古くはラテン語やサンスクリット、また現在でもスラブ系言語(露語とか)には無い。気を強く持って頂きたい。
 a, an は数えられる何や判らんモノ一つに付ける。「そういうモノの内の一つ」という意味で、不定冠詞と呼ばれる。
 the は話し相手も既に知っている(ハズの)「例のヤツ」という断定含みの意味から、定冠詞と呼ばれる。
(「一般に○○なるモノ」という意味では何となくどちらも使われる場合がある)
 他にラテン系言語では複数用の不定冠詞や、また英語の「 some 幾らか」に近い、部分冠詞と呼ばれるモノも存在するが、詳細は割愛。
 平たく言うと、印欧語では名詞を裸で出したくない、何か被せよう、という感じで形容詞や所有代名詞などが付かない場合、とりあえず付けてても良いかなと。
(もちろん物質名詞等の数えられない名詞は除く)


文(ぶん)
 日本語に於いては、述語だけで「文」として成立したりするので定義が難しいかも知れないが、一般論として、主語があって述語があれば「文」と言えそうである。
 日本語で主語をよく略すのは、日本語が基本的に結果だけを言う言語だから、すなわち結果を客観的に(他人事に)叙述するだけだからである。自分の事も…もう、誰の仕業とかどーでもイイし。
 逆に英語等では、ちゃんと行為者やその行状を並べ立てないと文として成立しない。
 一人の日英バイリンガルが、各々の言語で言う事を空中分解させてしまう事があるのは、これらの為である。

主語
 日本語では良く隠れるが、自動詞言語だからでもある。
(また「主格補語」に過ぎないという説もある)
 殊に人工言語に於いては、主語の立場をハッキリと示さないと、後で絶対に読めない言語になる。
 「アナタが好きです」というセンテンスの、日本語的にでなく文法的主語、つまり英語で言う Subject は?と問われれば、出て来てない「私」だと言わざるを得ない。
 (それは日本語的には正しいが)もし「アナタ」を主語とすると、英語に置き換えれば You like .... (話し相手の感情)となるので変だとご理解頂けよう。
(「アナタが(は)好きです、タケノコ御飯を。」みたいに言えば、お判りか?)

述語
 英語等では述語動詞とでも呼べばよいかも知れない。「○○が△△をXXする」の赤字の部分である。のオチであり、絶対に無くてはならない部分。
 だけれど特に会話などでは言うのがヤボったい場合などは当然発声しない。もちろん存在しないのではなく、言わないだけなのだが。
 最も基軸になっているだろう一語を、特に本動詞と呼びたい。助動詞などと複合している場合 You should have been going to ... などなら have を。

目的語
 「△△を」の部分である。ただし「〜を」の場合は直接目的語、「〜に・〜へ」の場合は間接目的語と言う。後者を補語(後述)に含める向きもある。
 特に英語などでは、直接目的語は他動詞の印となっている。Move! だけじゃワカランでも Move it! と言えば「動かせ!」という他動詞命令だと判別する如し。
 時に略す事も…あ、何も言えなくなった。

補語
 名の如く、補(おぎな)う言葉である。無くても文は成立出来る。
 「私は学校へ行く」と「私は行く」←後者は文としては成立している。ただしどこへ行くのかが判らないだけである。もう一度言うが、文としては成立してゐるのである。
 それこそ食べ物に対する調味料の如き存在と言えよう。無くても食えるが、あった方がおいしく食べられるという感じ。
 会話では逆に「一言文」になり得る。「早よッ!」「またァ?」等。

分詞構文
 ここでは英語等の「進行形」「受動態」「完了形」について洞察する。
 それぞれをまとめると:

1 進行形be 動詞+現在分詞( ing 形の事)
2 受動態be 動詞+過去分詞
3 完了形have 動詞+過去分詞

 …と、教科書英語では受講するが、分析的に考慮すると単純化出来る、かもよ。すなわち behave助動詞だと考えるのが教科書英語。
 しかし behave こそが本動詞であって、分詞は分詞という「状態を言う単なる要素」と考えれば超簡単になる。
 つまり「そういう状態で、ある (be) 」「そういう状態を、持つ (have) 」に過ぎないからである。
 英語以外の欧州語(おフランス語・ドイツ語等)では、自動詞の完了形は2番型になる事が多い。「そうなって、今ある」と感じ入る様な考え方である。
 英語はァ、やっぱホラ、アッケラカ〜のカ〜だからガバッと have で言っちゃうのだーー!まぁその方が簡単だから学ぶには良いのですが。
 



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