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屋久杉の歴史
         
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旧藩時代
島民にとって屋久島の山々は霊山とされ、そこにそびえ立つ屋久杉は 神木としてあがめられ、伐採するものはいなかったと言われている。

17世紀頃になって、当時屋久島を支配していた島津氏(薩摩藩)は 屋久島出身の儒学者 泊如竹(とまりじょちく)の献策もあり、 財政上等の目的から屋久杉の資源に着目し伐採を開始した。

薩摩藩は屋久杉の林政を図るため屋久島代官を置き、さらには代官に 替えて屋久島奉行を置き、島の産業経済を統括支配した。屋久杉に ついては、伐採から搬出まで厳しく規制し、平木を上納させ、 米などと交換するなど、一種の専売制度をしいた。

当時は平木として利用できるものを伐採し、盤木に木取りして人が 背負って出していた伐採しても平木として利用できないものや利用 した後の残材は山に放置した。(現在これを土埋木と称して屋久杉 工芸品等に利用している)

屋久島の天然杉の分布は、表枯600m以上であり、標高1400m 前後までの森林には、当時伐採されたスギの切り株が小さいものから 大きなものまで島全体にわたって見られる。

また、このような森林には300年〜800年生のスギがほとんど 見られないが、これは当時素性のよい500年生未満のスギが 伐採されたためと言われている。現在、縄文杉を始めとする 著名な巨木は、見方を変えれば当時平木に向かなかったことから 、生きながらえたことが出来たと言える。

明治維新に至るまでの200年余の間、薩摩藩は屋久島の多くの スギを伐採した。その後屋久島の森林の大部分は国有林へと 編入されることになる。


明治維新から戦前まで
明治維新後、島津藩所有の山林は国有林として管理することになった。 しかし、1904年(明治37年)土地官民有区分を不服とする島民 から、国有林下涙訴訟が起こされた。土地の所有についての17年間 にも及ぶ裁判も1920年(大正9年)に結審し、国が勝訴した。

国は翌年の1921年(大正10年)「屋久島国有林経営の大綱」 いわゆる「屋久島憲法」を示すとともに、第一次施行案の編成に 着手し、1923年(大正12年)に策定した。これが国有林と しての経営の始まりとなる。

この時、前岳(集落に近い山)に委託林(現在の共有林)を設定 するとともに、ヤクスギの利用開発を進める一方で、ヤクスギ原生林 を永久保存することとし、4200haの学術参考保護林を設定し、 積極的にヤクスギの保護に乗り出した。

以降の国有林の経営は、屋久島憲法に十分配慮しながら、薪炭材の 譲渡・特売、地元民の就業、周回道路の開設等による地域の発展 のために行われてきた。ヤクスギについては生立木は禁伐として 、切り株や土埋木のみの利用を行い、コスギの利用を中心に行った。

屋久島憲法の骨子
1、島の周辺部の山岳約7000町歩は、委託林として
  地元の利益を図ること。
2、造林において、地元民の就業に配慮すること。
3、道路、特に島の周辺道路の開設に費用分担すること。


戦後
戦後まもなく戦争で焼失し、破壊された住宅建設や建物再建の ために木材需要は増大し、屋久島においても用材生産重視の 考えが取り入れられ、1951年(昭和26年)には奥岳 の大部分を森林開発の対象地域に編入した。

1960年(昭和35年)には屋久島林業開発の計画を策定 (一般木と同様の取り扱い)し、生産力増強の方針に沿って 天然林を皆伐し、その大部分を人工林へ転換する方向で進んで いった。

皆伐人工林施行
屋久島ではスギが適していることから、皆伐した跡地には ほとんどスギを植えている。戦後の一時期、苗の不足から 島外の苗が一部で植えられたが、現在では森林生態系に 配慮して地スギ(屋久島に自生するスギ)の苗を植えている。

1970年前後になり、屋久島の天然林伐採に対して、自然 保護運動による反対運動が始まり、木材産業や林業従事者 との対立も深刻なものとなった。 その後、国立公園区域の拡張、保護林の拡大、森林生態系 保護地域の設定などヤクスギを中心とする天然林の保護 のための各種施策がとられた。

屋久島森林環境保全センター発行
「屋久島の森林」参照


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平木と屋久島通貨
島津藩が屋久島を収めるころ、藩の財政を豊にするために税金をかける ことになる。田畑や屋敷の面積に応じて納める年貢、つまり現在の 固定資産税と成人男子が労働で払う夫役があった。屋久島では水田が 少なく、米で納めさせるよりは他所にないもので納めさせたほうが 経済上有利とみて、屋久杉で作った平木で納めさせた。一回に納める 年貢の量だが、富者と貧者とでは若干の違いはあったものの、概ね 3束〜4束であったと考えられる。ちなみに1束の大きさは平木 100枚分といわれている。