ガハムキセラは格下げになりましたが、作者が幼稚な時代に作ったモノである為に返って構造が判りやすい。
でもなんか微妙に不可欠な単語が欠落していたりと、粗削りな部分も多いのは仕方の無い事でしょう。何と言っても最初ですからね。
例文1
niun asu man nino mpie ege asu man keso gurose,
魚 を 盗っ た 悪い 猫 を 捕る べし と、
xihon mwi gome uti noroci yoh nuwa, 'aah don "Sazae".
服−無し 足 で 後ろ から 行く、楽しい なる ○○○。
格下げ言語でも、共通例文。
日本語からだったら、単語さえ揃えば楽である。
しかし「
ege 猫」はヤバ目。魚を盗る小動物から類推。
「はだし」「(追って)駆けてく」という表現も冗長に過ぎるが、仕方が無い。
例文2
gah nino ko o momi don pia uti,
考え た なら お嫌(試練) なる 道 で、
nuwa an suga un nate don rusu.
行く(事) が 男 の 真 なる 心。
共通例文。スンナリ収まった。
原文の様な重みは出せない。基本語しか無いからである。
例文3
inji don daro nino mato an, xodo yoh sei tah keso so.
全て なる 作っ た モノ は、大衆 から 欲される べき だ。
ra oto-roga an, ra mato asu base xodo un imi uti,
その 頭−力 は、その モノ を 見る 大衆 の 中 で、
o etu don puroci don xodo an xito kamu iro gurose daro keso.
いちばん なる 下方 なる 大衆 が 判り 得る 様 と 作る べし。
共通例文。こんな難しい事を言わせてはいけない。
「いかなる作品も大衆に好まれるべきであり、その知的水準は作品の対象相手となる大衆の内の最下層の人々が理解できる様に調整される必要がある。」
意訳を含めて単純に訳した。「いちばん(第一)」は頂けないなー。
例文4
ra an dan don ahi ado so nino kuna.
あれ は 最後 の 暑い 時 だった だろう。
ne un rasa un tou ci noe iwo nuwa uko an daro nino.
私 の 目 の 前 の所 へ 空 飛ぶ 乗物 が 現れ た。
wata mpie so ko, aruga an daro ko ma ugera roya nino.
大いに 不快 だ が、宇宙人 が 現れ て また ビックリ し た。
ko, oto don ugera an, en an ne dohe un emaga don mato so.
しかし、最 たる 衝撃 は、ソイツ が 我 ら の 仲間 である 事 だ。
「去年」等は英語の様に「最後の〜」と言う。
ahi ado 「暑い時」は「夏」。
「『空』飛ぶ」の様に限定されている移動なら
nuwa 「行く」の方が自然。
aru-ga は「星−人→宇宙人」。こういう接尾辞もちゃんとあるので注意。
oto don 「頭なる〜→最も〜」。こういう合成副詞も前触れ無く顔を出す。
例文5
おおいぞ 6いふ。ねあん わた ちゅるあす あぱにの。
らちうてぃ わた しょどあん びーん。こ、えんどへあん
ててそ こ、えんどへあん いたあす まんにーにの。
ねあん えんどへのえ うぼどん まとまとあす そそにの。
こ、えんどへあん えまぐろせ ぐいんにの。
これで正式な文章である。当初はこの方が純正だった。
カナ文字で書く場合は助辞(付属語)は前の単語(自立語)に合体する。
(
en dohe an → えんどへあん の様に)
「
おおいぞ」は国名、その他は単語帳を見れば判るだろう。
会話調に「
わた ちゅるっす あぱんの」という感じに書くと少し読み辛い。
マンガ表現
言語ページトップの看板。ガハムキセラが見て取れる。
base keso! ra an "Combo" so.
見る べし! それ は 『チョンボ』 だ。
nate, roya keso, tete!
ちゃんと、為す べし、アフォ!
四ヶ国語にしたかったが、ちゃんと入りきらなかった。